東京地方裁判所 昭和58年(ワ)11875号 判決 1986年5月26日
原告
根岸重治
右訴訟代理人弁護士
田中重仁
赤松岳
被告
株式会社中日新聞社
右代表者代表取締役
加藤巳一郎
右訴訟代理人弁護士
浅岡省吾
主文
一 原告の請求を棄却する。
二 訴訟費用は原告の負担とする。
事実
第一 当事者の求めた裁判
一 請求の趣旨
1 被告は原告に対して一〇〇〇万円及びこれに対する昭和五六年一月二一日から支払済みに至るまで年五分の割合による金員を支払え。
2 訴訟費用は被告の負担とする。
3 仮執行宣言
二 請求の趣旨に対する答弁
主文同旨
第二 当事者の主張
一 請求原因
1 原告は肩書き地において「聖母病院」との名称の病院(以下「原告病院」という。)を開設してこれを運営し、自らも医師として診療を行なっている者であり、被告は日刊紙「東京新聞」を発行する新聞社である。
2 被告は、昭和五六年一月二一日東京新聞紙上に別紙のとおりの記事(以下「本件記事」という。)を掲載し、これを頒布した。
3 本件記事は、「院長が架空請求を指揮」「職員の健保証を出させ」「本庄市の聖母病院デタラメ出張診療も」との五段抜きの見出しを掲げ、前文及び本文で原告が陣頭指揮して医療保険の架空請求をしており、犯行の手口は病院職員ら身寄りの健康保険証番号を調べ手当たり次第に架空請求するあくどさで、その実態は埼玉県生活福祉部によるレセプト二〇〇〇枚の調査や関係者の事情聴取から明らかになつたこと及び医師の立ち会いなしに看護婦や事務職員にビタミン注射や鎮痛剤の投与をさせた疑い(医師法違反)もあることなどを内容とするものである。
4 このように本件記事は、原告が陣頭指揮して病院ぐるみでの保険診療報酬の詐取をし、看護婦や事務職員に診療行為を行わせていたと断定し、原告が金儲けのために患者や医療保険制度を食い物にし、医師法違反行為をしていた極めて悪質な医師であるとの印象を一般読者に与えるものであつた。
5 原告は本件記事の報道により、その名誉、信用を著しく失墜させられた。原告は現に各方面からの非難を受け、入院や分娩の予約を取り消して来た患者も多かつたのである。したがつて、本件記事の報道によつて原告の受けた損害は精神的にも経済的にも莫大であり、この両損害を包含した意味における慰謝料は一〇〇〇万円を下らない。
6 よつて、原告は被告に対して一〇〇〇万円及びこれに対する不法行為の日である昭和五六年一月二一日から支払い済みまで民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払いを求める。
二 請求原因に対する認否
1 請求原因1ないし3は認める。
2 請求原因4及び5は争う。
三 抗弁
1 本件記事は、昭和五五年一〇月に表面化した、いわゆる富士見産婦人科病院事件を契機として病院の不正行為等医療問題が大きな社会的関心を呼び、日刊紙がこれらの問題に関する記事を大きく報道していた時期のものであつて、本件記事もこのような医療問題報道の一環として掲載されたもので、公共の利害に関する事実であることは明らかであり、被告がこれを報道したのも専ら公益を図る目的に出たものであつたのである。
2 しかるところ、本件記事の内容は、次のとおりいずれも真実であるというべきであり、仮にそうでないとしても少なくとも被告は真実と信ずべき相当の理由があつたというべきである。
本件記事は、被告の浦和支局に所属し、埼玉県庁担当記者であつた上田猛(以下「上田記者」という。)が次のような取材に基づいて、記事を作成し、被告においてこれを東京新聞に掲載したものである。
(一) 上田記者は、富士見産婦人科病院事件を契機に医療問題が世間の注目を集めていた中で、埼玉県の生活福祉部責任者から昭和五六年一月中旬頃同県が一年以上前から聖母病院の不正問題についての調査を進めているとの情報を得た。
(二) 上田記者はこの情報に基づき、埼玉県内における保険診療請求についての主管課である同県生活福祉部国民健康課及び同部保険課の関係職員、幹部並びに知事決済を知り得る立場にあつた責任者複数名に対し複数回にわたり取材を行つた。
(三) 上田記者は、この取材によつて左の事実を知り、これをそのまま記事としたものである。
(1) 同県本庄保健所は原告病院が違法な出張診療を行い、これによつて健康保険の診療報酬を請求している旨の通報に接したので、昭和五五年一月調査を実施したところ、同病院の看護婦及び事務職員が、医師に伴われずに、毎週一回あるいは月二回程度の頻度で、埼玉県児玉郡児玉町吉田林一〇―一所在の東鐘繊維工業、同県本庄市原二―一一―三二所在の本庄食品及び同県児玉郡上里町神保原二三五所在の株式会社サンワの三社の事務所や営業所に出向き、右各社の更衣室又は食堂において血圧の計測や、ビタミン剤の注射を行なうなどし、健康保険の診療報酬の請求をしていたことが確認され、原告もこれらの会社に医師が同道していない事実を同保健所に対し認めた。
(2) 同保健所は、右調査結果に基づき、原告病院に対し同月二二日出張診療中止の指導を行つたが、その後同保健所は、原告病院の女性の元看護助手から同病院の診療報酬不正請求について次のような内容のいわゆる内部告発を受けた。すなわち、同病院では、新しく採用した従業員に対して、その家族の健康保険証の番号を聞き、家族それぞれについてカルテを作成していること、同女の場合も夫をはじめ、深谷在住の娘やその夫に至るまでの健康保険証番号を聞かれていること、保健所の指示で会社への出張診療をやめた翌日の朝礼において、原告は、同病院の看護婦や職員に対し、会社への出張診療をやめさせられたので、毎月二〇〇万円は収入が減るだろう、抗生物質もどんどん使う、従業員のファミリー協力もお願いするとの要請を行つたことを内容とするものであつた。
(3) 同保健所は、右内容を記録してこれを埼玉県生活福祉部保険課や健康保険課に報告したので、同部は検討の結果本件を調査することとし、同年一一月一九日及び二〇日原告病院の診療報酬請求明細書(以下「レセプト」という。)約一〇〇〇枚の調査を行うとともに、一八件にのぼる患者の面接調査を行い、更に原告病院の出張診療について昭和五四年一月から同年五月までの前記三社のレセプト二〇〇〇枚を調査するとともに、従業員の聞き取り調査を実施したところ、前記のとおりの出張診療の実態に加え、診療を受けていないのに請求が行われている架空請求が相当数にのぼること、この種の行為が長期間にわたって行われていたこと、聖母病院の医療保険請求額が、出張診療を中止した昭和五五年二月分がそれ以前に比べて百ないし二百万円程度減り、三月以降再び一月以前の水準に戻つていることなどの事実が明らかになつた。
(4) 以上の調査結果から、埼玉県生活福祉部は、昭和五六年一月中旬ころ原告病院に対し、その医療報酬請求に重大な健康保険法違反、国民健康保険法違反の疑惑があり、かつ医師法違反、保険婦助産婦看護婦法違反の疑いがあるとして、立ち入り調査を行なうことを決定した。
(四) 上田記者は、以上のような取材経過と取材内容に基づき、これを真実であると信じて本件記事を執筆するとともに原告自身の弁明をも取材してその談話記事を執筆し、その結果本件記事が報道されたものである。
四 抗弁に対する認否
1 抗弁1の事実及び同2のうち、本件記事が真実であつたこと及び真実と信ずるについて相当の理由があつた事実は否認する。
2 「公益を図る目的」について
被告は、本件報道を「専ら公益を図る目的に出た」ものであると主張する。しかし、当時、いわゆる富士見産婦人科病院事件の報道を機に国民が医療関係記事とりわけ医療機関の不正行為に敏感に反応する状況が生じていたなかで、被告が本件記事を掲載した動機・目的は、他社を出し抜いてセンセーショナルなスクープ記事を掲載することによつて読者の歓心を集めることにあつたというべきである。このことは、監査前の事実関係がまだ不明確な時期に、他の新聞社の動きが急になつたことを理由に、殊更煽情的な見出しと文章で本件記事を掲載したことからも明らかである。
3 「事実の真実性」について
被告は、本件記事が真実であるという。しかし、本件記事において被告が摘示した事実については、その一つでも真実であることの証明が為されてはいないのである。
4 「事実を真実と信ずるに相当の理由」について
(一) 「今日の社会において新聞特に一流紙の影響力は絶大なものがあり、ひとたび新聞に事実が報道されるや、その事実は真実のものとして一般読者に受け取られて流布されるに至り、場合によつては取り返しのつかない結果が発生するおそれのあることも否定しがたいところであるから、いやしくも人の名誉、信用を毀損するおそれのある事項に関しては、それが公共の利害に係り、専ら公益を図る目的で報道しようとする場合であつても、慎重な取材が要求され、迅速性を多少犠牲にしても、正確性を最大限尊重すべく、かりそめにも誤つた報道によつて人の名誉、信用を不当に毀損しないよう注意すべき義務があるというべきである」(昭和五二年七月一八日東京地方裁判所判決)。
特に、医師・病院は患者との信頼関係を抜きにしては存在しえず、この信頼関係は医師の人格に大きく依存しているから、医師が陣頭に立つて架空請求や無資格診療を指揮したとの誤つた報道は医師・病院の存立に決定的な打撃を与えることになる。
したがつて取材にあたる記者としては、主管官庁からの取材のみを妄信することなく、可能な限り裏付け取材を行つて記事内容に誤りのないよう慎重を期すべき注意義務を負つているというべきである。
(二) ところで、本件記事の取材にあたつた上田記者は、本件記事に関する報道の全てを埼玉県の職員から得ており、県以外の個人、団体からは一切取材していない旨証言している。そして、保険診療報酬は、県生活福祉部の管掌のもとにあり、保険課と国民健康保険課とがそれぞれ業務を分掌しているが、上田記者が本件事件を取材したという昭和五五年一一月から翌五六年一月二〇日までの期間、右両課の課長であつた者らは、いずれも別件の証人として尋問を受けた際、新聞記者には「一切具体的な内容についてはしやべつていない」と証言している。とすれば、上田記者の証言と小倉・諸岡の各証言とは相容れないことになり、上田記者か右両課長のいずれかが虚偽の証言を行つていることになる。仮に、右両課長の証言が真実であり、上田記者が県幹部以外の情報源からの取材に基づいて本件記事を作成したとすれば、被告がその取材状況を明らかにしない限り、事実を真実と信ずるに相当な理由があつたとすることはできない。
(三) 本件記事を構成する事実が県の職員から提供されたものであるとしても、取材源が官公署であるとの一事をもつて、取材された情報そのものの真実性確認についての注意義務が免除されるものではないことに争いはないから、本件報道が「権威ある捜査当局の発表」と評価し得る状況での取材に基づいたものでない以上、報道機関としての責任を免れるものではない。
上田記者は、本件報道の二、三ケ月前である昭和五五年一一月ごろより本件の取材を続けていたというのであり、「ファミリー協力」や「架空請求」の情報が原告の開設する聖母病院の元看護婦助手で同病院を解雇された者から出ていることを知つていたのであるから、本件報道前に、少なくとも同人に会つて解雇に対する腹いせによる虚構の告発でないか否か、告発内容に合理的根拠、証拠があるか否かなどを確認すべきであり、同様に同人の家族や他の病院職員に取材して裏付けの取材を為すべきであつた。
上田記者は、本件取材にあたつて右同女やその家族、保健所、無資格診療があつたとされる事業所や患者、他の職員などに対し全く裏付け取材も独自の調査も行つていない。このように担当記者自ら何等の裏付け取材も行わず、ただ県職員からの取材内容を鵜呑みにして、殊更煽情的な見出しを付して原告に社会的非難を集中させんとした被告の本件記事の取り扱いには、取材上の過失並びに編集上の過失があるというべきである。ましてや、県の幹部複数からの取材というのみで、取材の日時、場所、対象、方法など具体的取材状況を明らかにせずして、真実であると信ずべき相当な理由が存したと断じ得べきもない。
(四) また、本件記事の末尾に「根岸院長の話」として原告の談話を掲載しているからといつて、被告の責任が免除されるものではない。見出しや本文の論調からすれば、原告の談話を載せることによつてかえつて読者に原告への非難を増幅させる役割を果たしている。むしろ被告のねらいもそこにあつたと判断せざるを得ない。
5 まとめ
(一) 被告は、埼玉県の複数の幹部職員から取材(日時、場所、方法、相手方など具体的取材状況は一切不明である)のみに基づき、自らは何等の裏付け取材もせぬまま、読者の原告に対する非難を増幅させることを意図して殊更煽情的文言を多用して真実に反する事実を新聞記事として掲載した。
(二) 本件は、おりしもいわゆる富士見産婦人科病院事件を機に医療に対する社会的非難が沸騰していた時期でもあり、福島茂夫埼玉医師会長の経営する病院に勤務する元聖母病院の看護婦助手からの告発ということで、主管官庁たる埼玉県生活福祉部の調査は、当初より予断をもってこれに当り、その方法及び情報監理に慎重さと厳正さを欠いていたと言わざるを得ない。
(三) 右のような県職員からの取材に当つた上田記者もまた、医療に対する世論の流れに迎合して、真実を取材して正確な報道をするという報道記者として第一に遵守すべき鉄則を怠つたのである。
(四) 医師、医療機関にとつて、医師の人格と医療に対する姿勢とは、患者との信頼関係を築く上で不可欠の要素であり、本件報道によつて原告の医師としての信用が大きく失墜し、患者との信頼関係が破壊され経済的にも多大な損害を被つたことは容易に推測できる。
(五) テレビ朝日のやらせリンチ報道を例に引くまでもなく、今日公共性を振りかざした報道機関の横暴には目に余るものがある。
被告も、自ら不正を告発する正義の代弁者として本件記事を報道し、原告をいわれなき社会的非難の中に陥れたのであるから、これによつて原告が被つた損害を賠償すべきは当然である。
第三 証拠<省略>
理由
一請求原因1ないし3の事実は当事者間に争いがない。
二右争いのない事実によれば、本件記事は、原告病院の院長として原告の氏名を明記するとともに、院長が陣頭指揮をして医療保険診療報酬の架空請求をしていたことが明るみに出たこと、犯行の手口は、病院職員の身寄りの健康保険証番号を調べ手当たり次第に架空請求するあくどさであること、企業への出張診療では、本来出張診療の出来る条件が整つていなかつたことに加え、医師の立ち会いなしに看護婦や事務職員にビタミン注射や鎮痛剤の投薬をさせた疑いも出ており、この面でも埼玉県生活福祉部は原告らを医師法、保健婦助産婦看護婦法違反の疑いで追及する方針である旨報じたものであつて、<証拠>によれば、本件記事には、「架空請求していない」との見出しのもと「根岸院長の話」として「保険の架空請求なんて、そんなバカなことはしていない。うちのレセプトを県が調べているという話は聞いている。とにかく、県が(立ち入り検査で)調べてくれれば、潔白がはつきりします。」との原告の発言も併載されていることの認められることを考慮してもなお、原告は本件記事が報道されたことによつて、原告病院では原告の指示に基づいて健康保険診療報酬の不正請求や無資格診療などが行われており、原告は、その病院の経営者としてこれを指揮しているとの印象が不特定多数にのぼる東京新聞の読者に与えられたことにより、その名誉及び信用が毀損されるに至つたものというべきである。
三そこで、被告の抗弁について検討する。
1 新聞記事が、他人の名誉を毀損する場合であつても、それが公共の利害に関する事実にかかり、かつ、専ら公益を図る目的に出たものである場合には、摘示された事実が真実であると証明されたときは、右記事を報道した行為は違法性を欠くものとされ、また、その事実が真実であることが証明されない場合であつても、当該報道を行つた者においてその事実を真実であると信じたことにつき相当の理由があると認められるときは、右行為は故意若しくは過失を欠くものとして、不法行為は成立しないものと解すべきである。
2 これを本件について検討するに、弁論の全趣旨によつて原告が社会保険の保険医であり、かつ国民健康保険の健康保険医である事実(以下、保険医と健康保険医とを総称して「保険医」という。)が認められ、このことと前記争いのない事実を総合すれば、保険医である医師が保険診療報酬の不正請求を行ない、かつ、医師の資格を有しない者に診療を行わせていた疑いもあることがあれば、公共の利益の観点から放置できない事柄であるから、このようなことを報道した本件記事が公共の利害に関する事実にかかるものであることは明らかであり、本件執筆は被告の報道機関としての使命感から医療の健全化という公益を図る目的に出たものであると認めることができる。
3 そこで、進んで本件記事の内容が真実に合致するか否か、仮に真実に合致する点について証明されなかつたとしても被告の担当者がその内容を真実と信ずるについて相当の理由があつたか否かについて検討をする。
(一)(1) <証拠>を総合すれば、
イ 小倉孝行は昭和五四年四月一日から昭和五八年三月まで国民健康保険に関する事務を所掌する埼玉県生活福祉部国民健康保険課(以下「国保課」という。)の課長をしていた者であり、昭和五七年四月一日からは生活福祉部参事を兼務していたこと、また諸岡武雄は昭和五四年七月二〇日から昭和五七年一月一五日まで社会保険に関する事務を所掌する埼玉県生活福祉部保険課(以下「保険課」という。)の課長をしていた者であること、
ロ 本庄保健所に対し原告病院の元看護婦助手である女性から同病院の不正請求についていわゆる内部告発があり、これに基づいて、昭和五五年初め頃同保健所長は保険課に対して、原告が出張診療(医師が、個々の患者の求めに基づかずに保険医療機関以外の場所に出向き、同所において診療を行うことであつて、以下単に「出張診療」という。)を行つており、医療法違反の事実があるので保健所としてその中止方を指導したが、あわせて架空請求を含めた診療報酬の不正請求や無資格診療の疑いも認められるので、その面について保険課において調査されたいとの通報を、前記内部告発者の供述を録取した書面を添付して行つたこと、
ハ 保険課は、国保課と協議しつつ、昭和五五年一一月頃から、埼玉県児玉郡児玉町吉田林一〇―一所在の東鐘繊維工業、同県本庄市原二―一一―三二所在の本庄食品及び同県児玉郡上里町神保原二三五所在の株式会社サンワの三社に対する調査を実施し、昭和五六年一月一二日頃からは患者としてレセプトに記載されている者約五〇名に対する聞き取りを行なうとともにレセプトとの対照調査を実施し、一方国保課は本庄市長などから提出されたレセプト数百枚を調査するとともに患者三十五、六名について面接調査を実施し、その結果、保険課の管掌分の中に診療を受けたことがないなどの申立てのあつたものが一、二件、国保課の管掌分の中に不正請求(全く診療の事実がないのに診療したようにカルテに記載し、このようなカルテの記載に基づく保険診療報酬の請求を行なう架空請求行為、診察をせずに投薬のみを行ない、それに基づく保険診療報酬の請求を行なう無診投薬行為若しくは病気について正しい病名をカルテに記載せず、又は実際にはなかつた病名を作出して記載し、投薬などの数量を水増ししてカルテに記載し若しくは応診の事実がないのにあつたかのようにカルテに記載し、このようなカルテの記載に基づく保険診療報酬の請求を行なう行為の総称であつて、以下単に「不正請求」という。)の疑いがあつたものが二十数件、無診投薬関係によるものを除いても最終的には一〇〇件程度が発見されたこと、
ニ この中で、埼玉県は、昭和五六年一月一四日原告に対する特別指導を実施することを決定し原告にその旨通知する一方、聞き取り調査を継続したが、不正請求と見られる件数が増大したため、同月一六日原告に対する特別指導を監査に変更することを決定したこと、
ホ 前記内部告発者の供述には、原告病院において出張診療ができなくなつて収入が毎月二〇〇万円程度減つてしまい、職員の給料を支払うのも大変であるとし、「ファミリー協力」と称して、職員の家族の保険証番号を使用させるよう協力を求めたとの部分があつたことから、昭和五五年一月当時国保課の部内においては、ファミリー協力という表現が相当に話題となつたことがあつたこと、
ヘ 監査の実施を決定した同月一六日当時、保険、国保両課としては、原告病院がいわゆるファミリー協力を含めた保険診療報酬の不正請求を行つていることについて相当高い疑いを抱いていたこと、
ト 同年二月一三日に監査を実施した際、原告は出張診療を行わせ、かつその際に医師ではなく、看護婦に診察をさせた事実があること及び国民健康保険関係で百数十件の不正請求の事実があつたことを認め、かつその旨記載されている監査調書に、署名押印をしたこと、
チ 監査の結果として、職員の家族の保険証番号を使用した架空請求の事実については、それを窺わせるかのような事実が認められ、国保課長としてはその疑いを捨て切れないでいるものの、これを認定するに足りるだけの事実を発見するには至らず、結局、昭和五六年三月三〇日原告に対して、埼玉県知事が、原告は出張診療、無診投薬などを行い、その費用を診療報酬として請求していたとの理由に基づく戒告処分を行なうとともに、県生活福祉部長が、社会保険分計一六九件、一八四万六六〇六円、国民健康保険分一二九件三八万二四二四円について返納を要する金額として過誤調整を行つたこと及び昭和五四年一月から昭和五五年一月までの間において右過誤調整分以外に出張診療によつて請求した診療報酬の返納をすべきことを通知するにとどまつたこと、
以上の事実を認めることができ、原告本人の供述及び甲第二号証中の、監査調書に署名押印をしたのは事実であるが、原告が署名押印をした部分は白紙であつて後にそのような事実を認める記載が書き加えられたものであるとの部分はその内容自体不自然であり、また如上の認定事実に照らしてにわかに措信できない。
(2) また、<証拠>を総合すれば、
イ 本件記事が報ぜられた当日に、毎日新聞も原告病院に関する記事を掲載し、その全国版には、「″もぐり出張診療″保険料を不正請求」との見出しのもと、原告病院が本庄市内などの会社、工場で不当な出張診療を行い、保険料の不正請求をしていたことが埼玉県生活福祉部の調査で明らかになつた不正請求額は五四年分だけで数百万円に上るとみられ、同部は監査を行なう、また、医師の資格がない病院職員が診療行為をしたりしていた疑いもでており、同県衛生部も調査を進めることになつた、原告病院が出張診療していた会社は保険診療機関の指定を受けておらず、保険診療とは認められないわけだが、同病院は正規の診療として保険料を請求していた、このほか同病院の元職員の話では、原告は″もぐり出張診療″を中止したあと、朝礼で職員に対し「会社への出張診療がなくなり、毎月二〇〇万円の収入減となる、そこで、従業員に″ファミリー協力″をお願いする」といい、この職員は「私は娘と娘婿までの保険証番号をきかれた」と証言しており、原告病院が職員の身内の名前で架空のカルテをつくり、保険料を不正に請求していたのではないかとの疑いが強まつているとの記事が、また、同日付け同紙埼玉版には、「医師ではない職員が診療行為? 本庄・聖母病院の保険不正請求 二三日、立ち入り監査 院長は 『潔白』を主張」との見出しのもと、原告病院が″もぐり″の出張診療を行い保険の不正請求をしていたことが二〇日明るみに出た、保険、国保の両課は二三日午後同病院を立ち入り監査することとしている、県生活福祉部の調べによると、同病院に対する社会保険診療の支払額は五四年が六三五〇万余円、月平均五二九万余円、最も多い月が七〇〇万円、少ない月でも四六〇万円台、ところが、県が出張診療を中止させた五五年二月以降同病院の社会保険収入は減り、同月には四〇〇万円以下となつたとの記事がそれぞれ掲載されたこと、
ロ 埼玉県庁記者クラブは、右毎日新聞の記事及び本件記事が報道されたことから、県広報課を通じて保険、国保両課に対して記者会見の申し入れをし、保険、国保両課はこれに応じたが、両課が記者会見に応じることとした理由には、本件記事及び右毎日新聞の記事において報じられた内容が指定医療機関に関する事柄であつたことのほか、これらの記事の内容が数字的な事柄を別とすれば基本的に右各課が把握していたのと同様の内容であるため他社の記者にも公表せざるを得ないとの判断があつたこと、
ハ 翌二二日には、毎日、埼玉、読売及び朝日の各紙朝刊が原告病院に関する記事を掲載し、
a 毎日新聞には、「聖母病院出張診療の不正請求は三〇件、架空のカルテも…職員の身内や親類名で 院長指示?」との見出しのもと、原告病院が″もぐり″の出張診療を行い保険の不正請求をしていた問題で、保険、国保両課は二一日、出張診療による不正請求と職員の身内の名前を使つた架空のカルテによる保険の架空請求は同日までの調査でそれぞれ三〇件から数十件に上つていることを明らかにした、保険課によると、同病院が不当な出張診療を行つていたのは本庄市内の食品会社や児玉郡児玉町の繊維工場など三社で、週一回から月二、三回の割りでほぼ定期的に出張診療を行つていた、会社関係者からの事情聴取によると原告はこれら三社の嘱託医のような形で一〇年程前から会社に出入り、出張診療を始めたという、これまでの事前調査では少なくとも三〇件の不正請求が確認されている、これらの会社は保険診療機関の指定を受けておらず、同病院が出張診療し支払いを請求した保険は全て不正請求にあたる、同課はこの不当な保険請求はかなりの額にのぼるものとみている、また、国保課は同病院が原告の指示で行つたと見られる″ファミリー協力″に的を絞り、不正を解明することにしている、″ファミリー協力″は職員の身内や親類の名前と保険証番号を借り、全く架空のカルテを作り、保険を不正請求していたもの、同課は該当者とみられる三〇人に調査対象を絞ぼり、レセプトをチェックした結果、今までに数十枚の架空レセプトがみつかつた、この中には、一人の患者が二年間も毎月気管支炎の治療をしていたものもあつた、同課では五四年一月以降のカルテ、レセプトを照合することによつて、相当の架空請求が見つかるものとみている、同課では聖母病院の場合は全くの架空請求であり、富士見病院より悪質といつている、このほか、会社従業員からの聞き取り調査では、出張診療には看護婦のほか、白衣姿の男の病院職員が同行、この職員がしばしば問診をしたり、薬を投与していたという、中には医者ではなく、事務職員だつたとはつきり証言している人もいる、同部はこの面でも衛生部と連携し、事実を明らかにさせたいとしているとの記事が掲載されたこと、
b 埼玉新聞には、「大がかりな架空請求本庄・聖母病院 県、あす立ち入り監査 従業員らの健保証使う 不正な出張診療を禁止され″減収″の穴埋め図る」との見出しのもと、禁止されている出張診療を行い県から禁止命令を受けた病院が、不正のもうけの穴埋めにと従業員や親類、出入り商人など片つ端から保険証の記号番号を教えさせ診療もせずに保険料を請求していたことが発覚、事態を重視した県生活福祉部はこの病院を立ち入り検査する、同部によると、不正の件数は数十件、数千万円にのぼりそうだ、同部の内偵によると同病院は五五年一月まで、同市内の食品製造業者など判明しているだけでも三つの事業所に対し診療施設がないにもかかわらず、出張診療を続け不当に保険料を請求していた、この事実は同病院関係者の内部告発で明らかになり、五五年二月県本庄保健所が病院責任者を呼び直ちに出張診療を中止するよう命令した、しかし、病院側は出張診療を中止したすぐ翌月、おかげで収入が激減した、これでは給料を支給できない、収入を増やすためにぜひ協力してほしい、と従業員にもちかけ、従業員や元従業員、親類、出入りの商人などに保険証の記号番号を提示させ、架空の診療行為をでつちあげ、今度は保険料の架空請求でもうけの穴埋めを図つたということで、内部告発から同部が月別保険料を算出したところ、出張診療の中止命令を受けた翌月の二月だけ、保険料請求額が激減、三月からまた元に戻つていることが明らかになつたとの記事が掲載されたこと、
c 読売新聞には、「架空診療で保険料請求 本庄の聖母病院 あす立ち入り検査 元患者らの保険証使う」との見出しのもと、原告病院が、法律で認められていない出張診療をして不正な保険診療報酬を得たうえ、それが保健所に指摘されると、病院関係者の保険証番号を使つた架空の保険診療報酬請求をしていた疑いが強くなり、県生活福祉部は同病院を立ち入り検査する、二一日までの患者及びレセプト調査の結果ほぼ事実が確認されている、原告病院ではそれまで病院内での一般診療のほか、本庄市内の数カ所の事業所へ根岸院長ほか数名の医師が交代で出向き、出張診療をしていた、保健所からの注意で、同病院では二月から出張診療を取り止めた、ところが、出張診療をやめた五五年二月分が四〇〇万円に落ち込んだほかは、前後の月は五、六〇〇万円の保険収入があり、レセプト、患者調査をした結果、これまでにわかつただけで、病院関係者、元患者約三〇名の名を使つた架空診療による不正請求や水増し請求があることがわかつたとの記事が掲載されたこと、
d 朝日新聞には「聖母病院 ファミリー協力あつた? 従業員らの保険証使う」との見出しのもと、原告病院で、違法な出張診療や架空診療が行われた疑いで、県生活福祉部は二三日、同病院への立ち入り監査を実施することになつたが、二一日までの同部の調べで、同病院が職員家族、出入り業者などの健康保険証を使つて、架空請求、不正請求などのファミリー協力を行つていた疑いが強くなつた、今回の保険料不正請求の疑いは、五五年二月、元従業員が院長が病院収入をあげるため、従業員家族の保険証番号を出せと指示したと本庄保健所に通報があり、同保健所からの連絡で県生活福祉部が調査に乗り出し、明るみに出た、調べによると、同病院では、五五年一二月まで、診察室など医療施設のない工場など三カ所で違法な出張診療を行い、本庄保健所が中止を指示した後は、減収分を取り戻そうと、従業員家族ら病院関係者などの保険証を使い架空請求をしていた疑いがもたれている、同病院の保険料請求は月平均五、六百万円だつたが、本庄保健所が出張診療中止を指導した後の五五年二月には約四〇〇万円に減少、翌月にはまた五、六百万円台に戻つていた、これまでの患者調査(三〇人)から、数十件の架空請求と見られるケースが見付かつているほか、水増しと見られる不審な請求もあつたため、立ち入り監査では不審な点を解明するとの記事が掲載されたこと、
以上の事実を認めることができる。
(3) また、右(2)において認定した記者会見に至る経緯及び翌二二日の右各紙の報道内容に照らせば、この会見の中においては、本件記事及び毎日新聞の記事の内容を一つ一つ確認するような形での具体的な質疑応答も為されたとの証人上田猛の証言はこれを優に措信するに足りるものというべく、<証拠>中右認定に反する部分は措信できない。
(二) そして、先に(一)の(1)において認定したように、昭和五五年二月一三日に埼玉県が原告病院に対する監査を実施した際、原告は出張診療を行い、かつ医師が診察をしないで、看護婦に診察をさせた事実があること及び国民健康保険関係で百数十件の不正請求の事実があつたことを認め、その旨の記載のある監査調書に署名押印をしたものであるから、右の原告に対する事情聴取の手続きに疑問を抱くべき特段の事情の認められない以上(原告本人の供述及び甲第二号証中の、監査調書に署名押印をしたのは事実であるが、原告が署名押印をした部分は白紙であつて後にそのような事実を認める記載が書き加えられたものであるとの部分はにわかに措信できないことは前記のとおりであるし、甲第二号証中の監査の途中で、諸岡保険課長、小倉国保課長、県医師会門倉副会長及び同志村理事から原告に対し、県の監査担当係員が興奮しておさまらないから、報酬の再請求を認めるから、出張診療を認めてくれとの申し入れがあつたとの部分もにわかに措信しがたいところであつて、他に監査経過について原告がその本人尋問で供述するような疑いを抱かせる事情を認めることができないところである。)、右監査調書の記載内容は十分な信用性を有するものであつたというべきであり、前述(一)の(1)ないし(3)で認定した事実と考え合わせると、本件記事のうち原告が出張診療において看護婦に診療行為をさせていたとの部分及び原告が保険診療報酬の不正請求を行つていたことについては真実の証明があつたものというべきである。もつとも、本件記事のうち「根岸院長らを医師法、保健婦・看護婦・助産婦法違反の疑いで追及する」との部分については裏付けとなる取材の内容が必ずしも明らかではないが、このようなことは、無資格診療の事実が認められる以上は当然予想されることである。したがつて、このような記載があつたからといつて、本件記事のうち、原告が看護婦に診療行為をさせていたとの事実に関する部分が、真実に合致しないものとすることはできず、本件記事の右に関する部分は事実に関する報道として許容される範囲内にとどまるものというべきである。
(三) 次に、本件記事のうち原告が架空請求をしたとする部分については、不正請求とは架空請求のほかいわゆる無診投薬行為をも包含した概念であるから、不正請求をしたことをもつて直ちに、原告が本件記事のもう一つの眼目である架空請求までを行つていたものと認めることはできないし、他にそのことが真実であつたことまでを認めるに足りる証拠もない。そして、同じ不正請求とはいえ、単に、無診投薬行為や出張診療行為を行つていた旨報道された場合と、架空請求を行つていた旨を報道された場合とでは、その記事の読者が当該不正請求を行つていたとして報道された者に対して抱くであろう不信、嫌悪の念の程度には相当な隔たりがあるから、この差を無視することはできず、架空請求に関する報道部分については真実の証明があつたということはできないというべきである。
(四) そこで更に進んで、被告の担当者が本件記事の内容を真実と信じ、かつこのことに相当の理由があつたかについて検討する。
(1) 証人上田猛の証言によれば本件記事は同人が取材、執筆を担当したものであることを認めることができる。そこで、同人が取材した内容について見るに、前記争いのない本件記事の内容に<証拠>を総合すれば、
イ 上田記者は被告会社に昭和四九年一二月に入社し、昭和五六年三月にこれを退職して、翌四月朝日新聞社に入社した新聞記者であり、被告会社では当初同社浦和支局大宮通信部に勤務し、昭和五三年九月浦和支局兼務として、埼玉県庁担当となり、昭和五四年三月浦和支局専任となつた後も退職に至るまで引き続き埼玉県庁担当をしていたこと、
ロ 同人は昭和五五年一〇月以降、いわゆる富士見産婦人科病院事件の取材を続けるなかで、原告病院について不正請求の疑いがあるということを聞き及び、このことを契機として、原告病院に関する取材を開始したこと、
ハ その過程で、保健所の調べでは原告病院が、東鐘繊維工業、本庄食品、株式会社サンワへ月二回ないし週一回、看護婦又は事務職員による出張診療を行い、その都度約一〇名の者に対して血圧計で血圧を計り、ビタミン注射をするなどの行為を行わせて、不正請求をしていたという判断に達し、また同保健所が院長と看護婦の二人に聞いたところ、院長は行つていないことを認めたということであつたこと、保健所が出張診療の中止を指示した昭和五五年一月には原告病院の元看護助手から、出張診療の中止によつて収入が月二〇〇万円減少するとして原告がファミリー協力と称して看護婦や職員の家族の保険証の番号を知らせるよう朝礼ではつぱをかけていた、夫や娘、娘婿などの保険証番号を聞かれたという内容のいわゆる内部告発があつたこと、保険課は昭和五五年一一月一九日から二〇日にかけて原告病院のレセプト一〇〇〇枚を調査し、また、患者一一八名の聞き取り調査を実施したこと、原告病院からの診療報酬請求額は国民健康保険関係を除いた場合昭和五五年二月が三九六万九五七〇円であつたのに対して昭和五四年度は月平均五八〇万円ないし六九〇万円で、当局はその差約一〇〇万円を不正請求と見ていること、今後医師法違反が問題となるであろうこと、東鐘繊維工業など三社に関するレセプトは二〇〇〇枚に達することなどの事柄を上田記者が取材したこと、
以上の事実を認めることができる。
(2) 次いで、右の情報の入手先についてみるに、<証拠>によれば、上田記者がどのような事柄を取材したかは別として、国保課長である証人小倉や保険課長である諸岡武雄に対する取材を実施したことは明らかである。そして、その取材内容についてであるが前記小倉の証言中には、監査を実施する場合の具体例について説明を行つたことを認め、それを上田記者が原告病院のこととして受け取つたかは受け取り方の問題であると述べ、一般例の形を取りつつ、真実は原告病院のことを説明したことを認めていると解される部分もあるほか、本件監査の実施が決定されたことは秘密事項ではなかつた旨明言してもいるところであつて、この事実及び上田記者の前記取材内容と前記保険、国保両課の把握していた情報及び認識とを対比すると、不正請求の金額及び件数の細部はともかくとして、その他の点は両者が相当に近似しているといえるのであり、またこの差違についても前記認定にかかる、調査が日々進行し、しかも保険、国保両課が相互に連絡を取りつつも独立して調査を実施していたという当時の調査状況及び本件記事が報道された翌日の各紙の報道内容から推認される保険、国保両課の記者会見における説明内容を考え合わせればそれ程見当外れの数値ではないということができることを考え合わせれば、上田記者は保険、国保両課及び県生活福祉部の幹部並びに知事決済を知り得る者複数名に対する取材を実施し、前記事実を取材したとの前記上田証言は信用できると言うべきである。<証拠>中右認定に反する部分は、にわかに措信できないし、また右証拠によれば、保険、国保両課は原告病院の特別指導及び監査の実施に先立つて埼玉県医師会に事情説明を行つており、その中で県医師会に対して具体的事項に及ぶ事情説明が行われた可能性は完全に否定することができないところであるが、前記上田記者の被告における職歴からは上田記者に埼玉県医師会との接触があつたかは全く不明であり、他にこの点について何等の主張立証の為されていないことを考え合わせると、そのことをもつて、先の認定を覆すこともできないというべきである。
(3) そこで、以上に認定した上田記者の取材内容と本件記事の内容とを対比するに、本件において、架空請求を手当たり次第にしたとする点及び病院関係者が保険証番号を聞かれたのが、半ば強制的であつたとする点には若干の誇張が認められないわけではないが、その余は取材した内容とその大筋において相違のないものということができる。そして、本件記事が手当たり次第の架空請求とか、半ば強制的に保険証番号を聞かれたとしている点については、これらを、本件記事全体との文脈においてみれば、前記認定の取材によつて把握したところの、夫や娘、娘婿の保険証番号までを聞かれたという内部告発者の保健所や保険課職員に対する供述、更には原告が原告病院の職員に対し朝礼で職員の家族の健康保険証番号を使用させるよう協力を求めたとか出張診療を中止した直後一旦生じた二〇〇万円の収入減少が直ぐに回復したという情報を踏まえ、架空請求がかなりの件数にのぼることや雇い主から協力を求められれば不承不承も協力せざるをえないとの被用者の心情を推察、記述したものと解することができるものであって、取材内容と掛け離れたことを記述したものとまではいうことができないのである。また、上田記者が入手した情報は非公式情報であり、上田記者が内部告発をした右某に対する取材を実施しなかつたことは明らかであるが、右に認定したところによれば上田記者は担当課がかなりの件数に及ぶレセプト調査及び患者からの聞き取り調査を遂げた段階において、そのような調査を踏まえた上での情報として前記情報を入手したものであり、同女に対しては県保険課が既に調査を実施しており、同課において右内部告発にかかる事項について相当の信頼性を措いていた以上は、報道機関に対し、重ねて右同女への直接取材を求むべき必要性はないというべきである。
そうすると、本件事実関係のもとにおいては、被告の担当者は本件記事のうち架空請求に関する部分についてこれを真実と信じ、かつ、そのことについて相当の理由があつたものというべきである。
4 したがつて、本件記事のうち、原告が看護婦などに診察行為をさせていたことに関する部分については真実の証明があつたから違法性がなく、また、架空請求に関する部分については被告担当者においてこれを真実と信じたものでありかつこのことについては相当な理由があつたといえるから、故意又は過失がないことに帰する。よつて、結局被告の不法行為は成立しないものというべきであつて、原告の請求はその余の点について判断するまでもなく理由がないことに帰する。
四よつて、原告の請求を棄却することとし、訴訟費用の負担について民訴法八九条を適用して主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官中込秀樹 裁判官米里秀也 裁判官松井英隆)
(別紙) 目録
院長が架空請求を指揮
職員の健保証出させ
本庄市の聖母病院デタラメ出張診療も
〔浦和〕病院ぐるみのデタラメ診療として騒がれた「富士見産婦人科病院」事件のあつた埼玉県で二〇日、こんどは本庄市の病院長が陣頭指揮にたつて医療保険の架空請求をしていたという事件が明るみに出た。同県生活福祉部は同日、関係者からの事情聴取を始めたが、犯行の手口は、病院職員らの身寄りの健康保険証番号を調べ、手当たり次第に架空請求するあくどさ。二三日にも国民健康法などに基づき、同病院の立ち入り検査をする。また、企業への出張診療では、医師以外の看護婦、事務職員に診療行為をさせた疑いもあり、同福祉部は医師法違反でも追及することにしている。
問題の病院は本庄市四六一五、聖母病院(根岸重浩院長)内科、小児科、産婦人科の三科があり、医師は院長を含めて三人。職員は看護婦、准看護婦、助産婦など九人。ベット数は七一床で、同県では中クラスの病院。
これまでの調査によると、同病院は本庄市内の食品加工会社など三社で、食堂や会議室などを使って出張診療していた。出張診療には出先の会社に定められた診察室があり、その会社の嘱託医であることが必要。しかし、いずれの要件も備えていなかつたため、昨年一月二二日、地元の本庄保健所から「出張診療中止」の指導を受けた。
ところが、その後、根岸院長は「出張診療をやめさせられたので、毎月二百万円の収入減となつた。このままでは経営が困難だ。職員の協力をお願いする」と訓示。元同病院職員のA子さんの場合は夫や娘、女婿などの保険証番号を半ば強制的に聞かれた。
同県生活福祉部の調査では、五四年一〇月前後の同病院の診療報酬請求額は月平均七五〇万円ぐらい。出張診療にストップがかかつた直後の昨年二月は、同請求が五五〇万円前後にダウン。院長訓示後の同年三月以降は再び七五〇万円前後にアップしていた。
こうしたことから、同病院関係のレセプト(診療報酬請求明細書)約二〇〇〇枚などを調査、保険証番号を勝手に使われたと思われる人たちからの事情聴取した結果、二〇日までに医療保険の架空請求の実態が明らかになつた。同福祉部は今後、架空請求の疑いの濃い数十件をピックアップ、立ち入り検査などでさらに裏付けを行なう。
また、保険の不正請求とは別に出張診療では、医師の立ち会いなしに看護婦や事務職員にビタミン注射や鎮痛剤の投与をさせていた疑いも出ており、この面でも根岸院長らを医師法、保健婦・助産婦・看護婦法違反の疑いを追及する。